光市母子殺害事件
世間的には『元少年の死刑』という形で幕を閉じそうだ。
おそらく判決は覆らないし、また個人的にさっさと執行すべきだと思う。
世間はニュースや新聞、インターネットという形でしかこの事件は知りようがないので、事件の真実というのは本人たちにしかわからない。
物議を醸しているのが、死刑は妥当であるか否か。これの根底には、事件を起こした当時、元少年は18歳だったということが挙げられる。
さて、話は変わるが、命に代わるものとは何だろう?
どうすれば命と引き換えにしてもらえるか、または納得してもらえるか。
被告が支払えるのは、罰を受けることと謝罪を繰り返すことだけしかない。
今回の事件に問わず殺人は、命だけでなく周りの人達の人生も奪う。
あるべきはずだったの時間。起こりうるはずだった出来事。
そして残された人たちは癒えることのない傷を負わされる。
それでも被告は罰と謝罪の二つしか支払えない。
これらを考えれば『死刑のハードル』なんてものは、高くする必要もない。
むしろ今回のことで言えば、二人分の命を償わなければならない。本村洋さんやその他の方々に負わせた傷の分を償わなければならない。
世間的にはこの事件は終わりだろう。
でも本村さんの中では絶対に終わらない。
絶対に消えない。
世の中はなんでこんな理不尽なのか。
どうして当たり前であることをが維持できないのか。
本当にたまらなく厭な気持ちになる。
追記
痛いニュースにも出ているが、成人を1、赤ん坊を0.5とカウントする人間もいる。
同じ人間として呆れるしかない。
厭な気分が増した。